同名異曲アラカルト

 "Love"というタイトルの曲にはJohn Lennonの作品もあれば  Nat King Coleのヒット"L-O-V-E"などまだスタンダードナンバーの  "Love"もあるといった具合に同じ題名で別の作品はいろいろあります。  "Mister lonely"はVidelsの1960年のヒットで73位を記録。  メンバーのVini Poncia-Peter Andreoliの作品。…

続きを読む

再録音アラカルト 2

 「涙のくちづけ」はこれまでに何度も録音しているが、オリジナル盤は   ’72年夏から秋にかけて世界中で大ヒットを記録したAl Capps編曲ボビー・ヴィントン自身の制作  になるこの盤。日本ではその数年前にLettermen盤がヒットしていたため大ヒットまではいかなかった。  ’88年Curb Recordsに移籍するとCRB 10512 Sealed with a kiss/Last …

続きを読む

愛のメロディー(その8):愛の綴り

 1976年の暮、ボビーはシングル"Nobody but me"を発売する。 自作の彼らしい親しみやすいメロディーだが、あと一押しがたらない。 adult contemporary chartで34位を記録する。  翌年、ボビーはBob Morganとアルバム制作のため久しぶりに Nashvilleに向かう。自作曲、中心のLP"The name is love"は5月 に発売。最高位1…

続きを読む

愛のメロディー(その7): Party Music

ボビーのTVショウはトロントで制作されていたこともあり、米国より カナダで高視聴率をマーク。かねてから暖めていた企画がAhedという マイナーレーベルで実現されることになった。  "Party music-20 hits"は’76年Bob Morganの制作で”オブラディ・オブラダ” ”You are my sunshine""That's amore"「ペンシルベニアポルカ」それに …

続きを読む

愛のメロディー(その6):パロマ・ブランカ

 1975年8月ボビーはラスベガスのMGMグランドホテルに出演。その前後はRiviera Hotelという過密スケジュールの中、エンターテイナーとしてその頂点にいたボビー、 このころは日本人もよくベガスを訪れボビーのショウにも関心が高かった。 "Mr.lonely""Feelings""Sealed with a kiss"など日本でもおなじみの曲を披露して ファンには涙を流す人の姿もみ…

続きを読む

愛のメロディー(その5):The Bobby Vinton Show(1975-78)

この時期のボビーはラスベガス中心にステージ活動を続けていた。 ある日、観客の中にChris BeardというカナダのTV制作者がいた。 テンポのよいボビーのショウに魅せられ、TVショウのホスト役にと考えた。 同時期にEpicからLP"Greatest hits/Hits of love"が再発され TVでもさかんに宣伝され、ベスト・セラーになっていた事もTV局のスタ ッフの目にとま…

続きを読む

愛のメロディー(その4): Prince of entertainment

"Moja droga jacie kocham"は「愛のメロディー」に使われたポーランド語 で"I love you so"を意味する。この曲でボビーは、かってのファンのことを 歌にしたのである。「僕は行くところをさがしている。そうすれば、音楽が 流れていても愛し合っていた時代にもどらなくてもすむから、、、悲しみや プライドを隠せる場所があればと思う。よかった頃のことが心を痛み続…

続きを読む

愛のメロディー (その3): Polish Prince誕生

 人種のるつぼといわれるアメリカは多民族社会、ポーランド系 アメリカ人もかなりの割合を占める。歌詞にドイツ語、イタリア語 フランス語などを使ったポピュラーソングは存在したが、ポーランド 語の曲は1曲もなかった。ボビーの「愛のメロディー」ヒットソング ファンのみならず、こういった背景のなか、Polish-Americanといわれる ひとたちからも大きな支持を受け、ゴールド・ディスクを記録…

続きを読む

My melody of love(愛のメロディー)

 レコード会社との契約もなくなり、失意のボビーも徐々に立ち直り、曲作りに 活路を見出していた。そんな中、ある曲がボビーの心をとらえた。  ドイツのElfi Grafという女性歌手の” Herzen haben keine Fenster "という 曲、英訳すると"Hearts have no windows".。 1974年の作品でボビーは、その親しみやすいメロディーに心を奪われた。 …

続きを読む

Las Vegas

レコード会社を失ってもボビーにはステージ・エンターテイナー として生き残る道が残されていた。はやくから、ボビーのステージは 批評家からも高い評価をえていた。  Las Vegasに進出してのは’60年代末、Sahara Hotelあたりから はじまり、Riviera, Desert Inn, MGM Grand, Flamningo, Frontier, Sands, Orle…

続きを読む